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資料詳細

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平田靭負屋敷跡
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資料名:平田靭負屋敷跡
ひらたゆきえやしきあと

作者:平田靱負 ひらたゆきえ

分類:文化財-県指定文化財-記念物(史跡)
制作年:18  江戸
地域:平之町
所管:鹿児島市
キーワード:記念物 木曽川治水工事 県指定文化財 史跡 平田公園

解説:
平田屋敷跡は、宝暦年間(1751~1761)の木曽川治水工事の際の総奉行で、当時の島津藩の勝手方家老であった平田靱負正輔の屋敷跡である。現在は平田靱負を顕彰する史跡として公園(平田公園)となっている。 平田靱負の屋敷は、天保年間の鹿児島城下絵図によると、柿本寺馬場に面し、天保の改革で功績のあった調所広郷笑左衛門の屋敷の前にあたる。さらに、屋敷続きには、藩の弓術師範の東郷家の屋敷があった。木曽川治水工事とは、宝暦3(1753)年12月、薩摩藩が幕府から美濃の木曽・長良・揖斐3河川の治水工事を命ぜられたため、家老であった平田靱負を総奉行とし、千人近くの藩士を動員して、40万両にものぼる経費を費やして実施した事業である。平田靱負は、この事業によって数十名の藩士を犠牲にし、莫大な借金をした責任をとって、工事が完成した翌日に自刃して果てた。現在、ゆかりの公園では毎年5月に、岐阜県からの一行を含め大勢の人々が参加して慰霊祭が行われている。