メニューへジャンプ本文へジャンプ
.

資料詳細

最初 前 次 最後
町田家の墓
拡大
前の画像   次の画像
1 / 2 ) 

資料名:町田家の墓
まちだけのはか

分類:文化財-市指定文化財-記念物(史跡)
制作年:18世紀前期  江戸
地域:石谷町
所管:個人蔵
キーワード:市指定文化財 記念物 史跡 旧松元町指定文化財 島津忠経 石谷梅久 町田久徳 町田久東 町田久長 墓碑、石碑群

解説:
 町田氏は,島津家2代当主忠時の七男常陸介忠経を始まりとし,地頭や家老を輩出(はいしゅつ)する名門支族である。
 家格は御一門につぐ領地を持てる一所持(いっしょもち),石高は1700余石,屋敷は今の千石町に7000㎡余の屋敷を持っていた。
 墓は,町田家22代久視(ひさみ)から28代久長(薩摩藩英国留学生を率いて渡英した久成の父)が主体で,ほかに石谷城の合戦で戦死した15代梅久,17代久徳の墓や久視による改葬碑,菩提寺(ぼだいじ)である永福寺の僧侶墓などがある。
 墓標は仏式の五輪塔を中心に石祠型(せきしがた)であるが,明治2年(1869)に死去した久長は神式による墓標である。
 また久成の母の国子は吉利(よしとし)(現日置市日吉町)の小松家の娘で,妹のお近(ちか)の夫が小松帯刀(たてわき)という縁で,国子の燈籠(とうろう)には,久長,久成などとともに清廉(きよかど)(帯刀)及び帯刀の妻の名なども並び刻銘されている。
 平成17年(2005),鹿児島市の記念物(史跡)に指定された。