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上杉重房像
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資料名:上杉重房像
ウエスギシゲフサゾウ

作者:新納忠之介 ニイロチュウノスケ
1869年1月7日~1954年4月13日 (明治元年11月25日~昭和29年4月13日)

分類:美術品-彫刻
制作年:不詳  
所管:鹿児島市立美術館
キーワード:美術院 仏像修復 木彫 肖像 男性

作品名(総称):上杉重房像
材質・形状・技法:
形状(縦・高さ):22.5cm
形状(横):31.3cm
形状(奥行き):18.5cm
形状(その他):高さ22.5 幅31.3 奥行18.5 ガラスケース入り
収集年月日:1987/2/20

解説:
本作品は鎌倉の禅興寺(ぜんこうじ)明月院(めいげついん)が所有し、鎌倉国宝館に寄託されている《木造上杉重房像》(国指定重要文化財、鎌倉時代、寄木造)を模刻(もこく)したものである。原像の像高69.5㎝と比べると3分の1ほどの高さであるが、服の折り目やしわ、顔の表情など精緻に模された作品である。烏帽子(えぼし)を戴(いただ)き、狩衣姿(かりぎぬすがた)で、あぐらに似た形で足を斜めに倒した姿が特徴的であり、原像に姿形、大きさがよく似た肖像彫刻として《北条(ほうじょう)時頼(ときより)座像》(建長寺(けんちょうじ)蔵)、《伝源頼朝(みなもとのよりとも)坐像》(東京国立博物館蔵)の2作品がある。
肖像彫刻の像主である上杉重房について
鎌倉中期の武将で藤原氏の流れをくみ、禅興寺の壇越(だんおつ)(施主)であった。1252年に宗尊(むねたか)親王が鎌倉幕府六代将軍として鎌倉に下向(げこう)する際に随行して武家となり、与えられた丹波上杉荘の地名をもって家名とした。娘が足利頼氏(あしかがよりうじ)に嫁ぎ、子頼重(よりしげ)の娘上杉清子が足利貞氏(さだうじ)に嫁ぎ、尊氏(たかうじ)・直義(ただよし)を生んだことなどにより、上杉家は足利氏の外戚(がいせき)として重用されるようになる。
(H25年度小企画展「石彫・木彫の美」解説キャプションとして作成)

これらは鎌倉の禅興寺(ぜんこうじ)明月院(めいげついん)が所有し、鎌倉国宝館に寄託されている《木造上杉重房像》(国指定重要文化財、鎌倉時代、寄木造)の石膏による型取りと木彫による模刻(もこく)である。木彫による模刻は原像の像高(69.5㎝)の3分の1ほどであることが両者を比べるとよく分かる。古典研究には模刻が重要とされていたこともあり、鎌倉時代の様式や技法を習得するためか、服の折り目やしわ、顔の表情など細部まで精緻に捉えられている。烏帽子(えぼし)を戴(いただ)き、狩衣姿(かりぎぬすがた)に、あぐらに似た形で足を斜めに倒した姿が鎌倉時代の肖像彫刻の特徴をよく表しており、原像に姿形、大きさがよく似たものに《北条時頼(ほうじょうときより)座像》(建長寺(けんちょうじ)蔵)、《伝源頼朝(みなもとのよりとも)坐像》(東京国立博物館蔵)の2作品がある。(H26年度小企画展「没後60年 新納忠之介の功績」キャプションのため一部修正)

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