資料名:国生先生記念碑
コクショウセンセイキネンヒ
分類:文化財-史跡等
制作年:昭和
地域:平川町平川小学校内
キーワード:国生岩右衛門先生 平川びわ 平川小学校
解説:
大正3年(1914)の桜島大爆発後,平川小学校の校長となった国生岩右衛門先生は子供たちが家庭の貧しさから学校をよく休むことから,平川の教育は貧乏(びんぼう)から脱出(だっしゅつ)しなければ成功しないと考え,土質・気候のよく似ている桜島と同じようにびわの木を植えることを思いついた。
大正5年(1916),長崎県から茂木(もぎ)びわの接穂(つぎほ)3本を持ち帰り,学校のびわの木に接木(つぎき)し,青年団の協力もあって3年目の大正8年(1919)には6000本にもなった。
村人の中では校長を変だと思う者もあったが,校長はびわは家の宝,地域の繁栄(はんえい)をもたらすものであると説得をつづけ,地下足袋先生といわれるほど,地下足袋姿で地域を回った。
やがてびわが実り,地域の人々は国生校長の精神を理解した。
しかし,大正9年(1920)3月,校長は病に倒れた。
その後,平川のびわは有名になり,昭和8,9年(1933,1934)頃は桜島をしのぐようになった。
しかし,戦時中,からいも畑にかえてしまったので,その面影(おもかげ)は今はない。
昭和3年(1928)に平川小学校の校庭に国生校長の遺徳(いとく)をしのんで記念碑が建てられた。